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アプリ過剰の時代に、また一つノートアプリを作る

AI でアプリが一日で作れるようになり、私もノートアプリを作った。HYPATIA がコードのバージョン管理の小さな道具から読書アプリになるまでの経緯と、ゆっくり進むことを覚えたこの半年の話。

Sushi · 約 12 分読みはじめる ↓

夜、家に帰って WeChat を開くと、Joe から APPSO という公式アカウントの記事「AI がアプリ過剰の時代をつくっている」が届いていた。a16z の最新ニュースレター So Many Apps, So Little Time を紹介する記事だった。

Joe からのメッセージ

記事には、小紅書(RED)で「Vibe Coding」と検索したスクリーンショットが引用されていて、出てくるのはこんな投稿ばかりだった。

どうして vibe coding で作ったプロダクトは、最後はみんな日記、家計簿、習慣トラッカー、ノートアプリになるんだろう。

起業したい、自分でプロダクトを作りたいと長いあいだ言ってきた。けれど、自分が何を作ったかを振り返ると、確かに日記と家計簿とノートアプリから逃れられていない。

HYPATIA だって、結局はノートアプリじゃないか。

a16z のレポートによれば、新しいソフトウェアの数は何倍にも増えたのに、ソフトウェアが実際に生み出す売上はほとんど変わっていない。大半のソフトウェアには、ユーザーがほとんどいない。

パイが変わらず勝者が総取りしている、という話ですらない。新しい勝者がそもそも生まれていないのだ。

01HYPATIA の始まり

HYPATIA を作り始めたのは、ある意味で偶然だった。

今年の八月末、私は親しい友人の研究プロジェクトに参加した。

そこではさまざまなデータとコードがひどく散らかっていた。データとコードのバージョンを管理するソフトを作れないだろうかと考えて、小さなプロダクトを気軽に vibe coding で作ってみた。

最初期の HYPATIA:研究プロジェクトのデータとコードをノードのグラフとして描き、右側のチャットが一つのノードを説明している

最初期の HYPATIA:各ノードに説明、入出力、コード、テストがあり、右側のエージェントがドキュメントを書き換えて新しいバージョンをコミットしている

できあがると、友人は「論文も読めたらいいのに」と言った。

それで、私はリーダーを作り始めた。

作っているうちに、コードのバージョンを管理する部分はあまりに未熟で、たいして役にも立たないと気づいた。

むしろリーダーのほうが、もっと多くの人の役に立つかもしれない。それに、ずっと好きで、わりとよく知っている分野でもあった。

高校時代、私はペーパーレス化を懸命に推し進めていた。先生たちもおおらかで、タブレットを学校に持ち込んでノートを取り、勉強することを黙認してくれた。いちばんの娯楽は、App Store でありとあらゆる効率化アプリを眺めることだった。

大学に入る前、私はしばらく MarginNote で働き、カスタマーサポートとマーケティングを担当していた。Joe と知り合ったのはそのときだ。

ノートアプリなら、私にも作れるかもしれない。

実際に手を動かしてみて驚いたのは、以前ならこういうソフトを作るのに何か月もかかったはずなのに、今では数日で済みそうだということだった。

それも専業の数日ではない。毎日いくつかプロンプトを送ってから出勤する、そんな数日だ。

少し胸が高鳴った。以前はできなかった多くのことが、できるようになった気がした。

それまでに、二週間ももたずに放り出したプロジェクトがあまりにも多かった。だから今回は、自分に一つだけ課した。何があっても続けること。

市場のことも、将来性のことも、自分のしていることに意味があるのかも考えない。

続ける。

02あるプログラマーの迷い

話は今年の二月にさかのぼる。私は休暇をとって、春節を過ごすために実家へ帰った。

帰って二日もしないうちに、Joe からメッセージが来た。プロダクトを作ったから見てみないか、という。

Tencent Meeting をつなぐと、Joe は自作の動画インデックスのプロダクトを見せてくれた。私も動画編集を少しやったことがあって、素材の管理がどれほど大変かはよく知っている。Joe のソフトなら、ローカルの素材をとても簡単に管理できた。

どれくらいかかったのかと聞くと、Joe は「一日」と答えた。

そのほんの数日前、私は仕事のなかで反省していた。AI にコードを丸ごと任せるべきではない、昔ながらの手書きのプログラミングに戻ろう、と。自分の AI の使い方が間違っていたのではないか、慎重すぎたのではないか、と考え始めた。

そこで、シリコンバレーのスタートアップ物語にすっかり染まった言い回しで、私は自分にこう言った。

ブレーキを外して、アクセルを床まで踏み込むように AI を使ってやる。

帰省前に、オフィスでスライドを作るための skills をひとそろい作っていて、なかなか使えると思っていた。いっそスライドを作るソフトにしてみよう。

大枚をはたいて Claude Max を二つ契約し、OpenRouter のモデル利用枠を 200 ドル以上溶かした末に、ありとあらゆるフローチャートを生成できる AI パイプラインができあがった。

もちろん、それはゴミの山だったし、最初に作りたかったものともまるで違っていた。

けれど、私は恐ろしいことに気づいた。コードをまったく見ずに、一つのプロジェクトを作れてしまうのだ。

恐ろしいのは、自分の身につけたものが急に値打ちを失ったことだけではない。

何が本質なのか、わからなくなったことだった。

コードを書くことが本質でないなら、何が本質なのか。アイデア?判断?美意識?それらはそもそも何なのか。

私にはうまく言えなかった。

さらに不安にさせたのは、生半可な経済学の知識だった。できる人が十倍に増えれば、その技術はもう値打ちがなくなる。

今日のコンピュータサイエンスは、昨日の土木になってしまうのだろうか。

その数か月、私は止まれなかった。

長いあいだ Claude を二つ三つ契約していた。ピーク時には Claude Max を六つも抱えていた。AI に使うお金のほうが家賃より多かった。

オフィスでは「トークン皇帝」というあだ名をもらった。

仕事の合間に、サイコロを振って昼ごはんの店を決めるアプリや、CFA の試験勉強を手伝うアプリを作った。

どれも二週間ももたなかった。そしてもちろん、どれも完成しなかった。

忙しかったのに、何に忙しいのか自分でもわからなかった。実家に帰るたびに、両親が目にするのはパソコンを抱えて眉間にしわを寄せた私だった。何をしているのかと聞かれても、いつも答えられなかった。

何もかもやった気がするのに、実は何もしていなかった。

オフィスのドアを出て歩きながら、ぼんやりと人生について考えていたのをよく覚えている。人は必ず死ぬし、命には限りがある。私はいったい何を作れるのだろう。

03生きることを学ぶ

その頃、気づくとよく台所にこもっていた。

前にそうなったのは、大学でスウェーデンにいたときだ。極夜は暗く寒く、食べ物はそれ以上に絶望的だった。ある指導教員はジャガイモをごちそうしてくれた。traditional food だからだ。別の教員は人生でいちばん塩辛い魚をごちそうしてくれた。これも traditional food だった。以来、その言葉を聞くだけで PTSD になる。それで自炊を始めた。家が恋しくなると、小麦粉をこねて餃子を包んだ。

それからずっと、料理は私の慰めになった。未来はこんなにも不確かなのに、台所は確かだ。台所に慣れてみると、そこは自由で、しかも確かな場所だとわかった。調味料を少し多めに入れても少なめにしても、料理が台無しになることはまずない。けれど火がしっかり通れば、ごはんは必ず炊ける。

料理は役に立つと思っていた。不安を和らげてくれるから。

ある友人に、何か趣味を見つけたほうがいいと言われた。必要ないと私は言い返した。遊んでいると不安になるし、未来はこんなに不確かなのだから、と。彼女は私の反論を気にもとめず、歌を強く勧めて、私たち友人グループをまるごとある歌の先生に紹介してくれた。一度行ってみると結構おもしろくて、自分の歌のいちばんの問題が、よりによってリズム感のなさだとわかった。それでも、もう一度行くのは面倒だった。

けれど、彼女のあの言葉が効いたのかもしれない。働き始めてすぐに Switch を買ったものの、ほとんど遊んでいなかった。遊ぶたびに罪悪感があったからだ。仕事が多すぎた時期に、「私には趣味が必要だ」という言葉がふと頭のなかで響いた。気づけばゼルダを起動していて、二週間遊んだ。

二週間後、私は遊ぶのをやめた。クリアさえしなかった。もちろんおもしろかった。ただ、なぜおもしろいのか、なぜこれほど多くの人に愛されているのか、もうわかった気がしたのだ。

遊ぶのが大好きな別の友人は、私をずっと囲碁クラブに誘っていた。何度か断ったが、結局行った。

私は囲碁が打てない。帰り道、一緒に来ていた初心者と話し込んだ。二人とも、このゲームはおもしろいと思った。ただ、どうして時間をかけて練習し、学ぶのかがわからなかった。どうせ最後は AI に勝てないのに。

後日、誘ってくれた友人に聞いてみた。彼は言った。「だって、人に勝てるじゃん。」

なんて素朴な答えだろう。

少し前、付き合いは長いのにめったに会わない友人と食事をした。しばらく話したあと、彼はふと言った。「君って、何をするにも投資対効果(ROI)を計算してるみたいだね。」

少し意外だった。自分をそんなふうに見たことはなかった。計算高くもないし、物質的でもないと、ずっと思っていた。

けれど、その言葉は胸に刺さった。

料理は不安を和らげるため。ゼルダは、なぜおもしろいのかを理解するため。理解したらやめた。囲碁では、どうせ AI に勝てないのになぜ学ぶのか、と真っ先に問うた。

趣味を探すことでさえ、趣味が必要だと誰かに言われたからだった。

その後も、私は何度か囲碁クラブに通った。

自分はただ遊ぶのが好きで、ただ生きることが好きなのだと、受け入れてみようとし始めた。

不思議なことに、肩の力が抜けると、プロダクトづくりもうまく進むようになった気がする。

HYPATIA を作るにあたって、私は自分にルールを課した。プロンプトを書くのは、なるべく毎朝起きてからの少しの時間だけにして、あとは AI に任せる。夜の時間は料理と読書と娯楽にあてる。

このルールはしょっちゅう破られる。それでも守ろうとするうちに、今夜じゅうに解決しなければならない問題など何もないのだと、少しずつわかってきた。続けることの可能性も見えてきた。一日に一つ問題を直せれば、一年で 365 個直せる。

際限なく必死になれば、一日に 10 個の問題を生み出すかもしれない。

そして、二週間ももたない。

04ありふれた夜

話を冒頭に戻そう。私は WeChat を閉じてパソコンの前に座り、HYPATIA で Evernote を調べ始めた。この二十数年の個人向けナレッジマネジメントソフトの歩みをじっくり分析するシリーズを始めていて、Evernote から書き起こそうと思っていた。ただ、Evernote は私がよく知っているソフトではないし、その裏にある物語も知らなかった。そこで HYPATIA に関連する資料を探してもらい、読み始めた。

HYPATIA で Evernote を調べる:英語の原文と中国語訳を並べて読み、右側のチャットが資料をプロジェクトに整理している

Evernote がかつて集めた目を疑うような額の資金。リュックや T シャツまで売っていた小さくて素敵なノートアプリの会社が、ベンチャーキャピタルに一歩ずつ押し流され、レイオフと CEO 交代を経て、最後には売却されるまでの経緯を読んだ。

小さくて素敵なプロダクトが、なるべきではなかった姿へと押し広げられていった。

呆然としながら顔を上げて時計を見ると、なんと十時を回っていた。

驚いた。こんなふうにパソコンの前で何かを読んだのは、ずいぶん久しぶりな気がした。

スマホで公式アカウントの記事を読むときは、いつも二、三回スクロールして閉じてしまう。何か疑問があれば、習慣的に AI に投げてしまう。ときどき急に奮起して、論文や教科書をどっさりダウンロードし、きれいに整理して、そして――そして二度と開かない。

だから、HYPATIA を作ることに何か意味があると信じなければならないのなら、それはたぶんこういうことだと思う。

答えがすぐ手の届くところにある今でも、私たちには、パソコンの前に静かに座って読み、考える時間がまだ必要なのかもしれない。

プロダクトが平均して一日で作れてしまう今だからこそ、ゆっくり作り、ゆっくり直していくプロダクトが必要なのかもしれない。続けることは時間をかけなければ証明できないけれど、ゆっくり進むことは今すぐにでもできる。

冒頭のレポートは、アプリ過剰の時代には新しい勝者がそもそも生まれていないと言っていた。Evernote の物語を読み終えて、私はそれがそれほど怖くなくなった。勝者だった Evernote でさえ、自分自身を保てなかったのだから。HYPATIA はたぶん勝者にはなれない。それなら、ならなくていい。ゆっくり作ろう。

あなたにも、ダウンロードして、整理して、二度と開いていない論文の山があるなら、ぜひ HYPATIA を試してみてほしい:https://note.parkourlabs.io/?ref=CBRCAXH7 。まだ粗削りで、毎朝ほんの少しずつ直している。困ったことや欲しい機能があれば、ぜひ教えてほしい。書き留めて、少しずつ直していく。

次は、個人向けナレッジマネジメントソフトの二十年についてのシリーズを、Evernote から書くつもりだ。読みたい方は、フォローするか、ブログの RSS を購読してほしい。

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